*お客様ブログ(アラ還 老女の「動かすカラダ」体験記)第2回。
ではでは、今年2月、わたしがなぜに西岡先生に出会ったか、というと……。
昨年11月、わたしは自転車に乗ろうとペダルに足をかけたところ、足が滑って、お尻を地面に強打。人生で2番目ぐらいの痛みを味わいました(地面がコンクリートではなく、土だったのが、不幸中の幸い)。
もう、お尻が痛くて歩けない……のに、ただの尻餅だもの大丈夫!と、たかをくくって、二日ほど日常生活を送ってみたら……痛みがひどくて「歩けぬ人」になってしまいました。ほんの10メートルも歩けない。お尻が痛くて。
「歩く」って、こんなにお尻を使うものなの? という発見でもあったんですが……。
お医者さまには、なるべくかかりたくなかった(好きじゃないから)。ですが、完全同居しているアラ卒(アラウンド卒寿)義父が心配してくださり、ケガした翌々日、彼の通う整形外科に一緒に連れられ、新百合ヶ丘駅近くの各種医院がそろっているビルの一角へ。
すったすったと元気に歩く義父さまのあとを、そろーりそろーり、やっとこさ歩いて(ああ、お尻痛い)と思いつつ……。うーん、立場が逆な気がするが、夫は仕事だし、仕方がない。ともあれ、付き添ってくれて、義父さま、ありがたやありがたや……。
診察後、お医者さまに骨折しているかもしれないからMRIとりましょね、といわれて、MRIをとったところ、骨折はしていなくて一安心。ただ、「大きな血の塊ができているから、安静に」と言われました。
だけど、まぁ、たかが尻餅だし、ずっとお尻が痛いは痛いけど、ゆっくりなら動けるし大丈夫だろうと、自己診断。再び、たかをくくって、家族5人(アラ卒・義父母と夫と高校生・娘)のご飯づくり、掃除に洗濯、家事いろいろ、ちょびっと仕事などなど、日常生活を続けること一週間。一応、長男のヨメ、一家の主婦なので、がんばりました。
一週間後、再び、整形外科へひとりで行き、診察。超音波検査の結果、「血腫(血の塊)が小さくなっていない。今も筋肉内で出血している可能性がある。だから、安静に、といったでしょ。超音波の画面見てごらん、この黒い塊、長さ6センチ、幅は3センチぐらいもある。こんな大きな血腫、治るまで半年はかかる。痛みがいつまで続くかは、個人差があるからはっきりとは言えないけど……。自然に血腫が筋肉に吸収されるまで、待つしかない。なるべく歩かないこと、運動なんてもってのほか。とにかく、いまは横になってごろごろして、安静にしていなさい」と、お医者さま。
が・が・が・がーーーーーん。全治6ヶ月以上? ここに来て、やっとわが身が置かれた危機的状況に気づきました。骨折はしていなかったけど、わたしの身体、相当やばいじゃん、と。
実は、お尻の鈍痛は治まらず、腰が曲がらない。だから、靴下がなかなかはけないし、ズボンもはけない。すっごく時間がかかる。歩くとお尻が痛いから、買い物にも行けない(生協の宅配頼み)。台所に立って食事の準備をするのも、難儀でした。
立つだけで、こんなにお尻を使うのか!? 意識したことゼロだったわ、と。これも、発見のひとつでした。
日常生活に支障が出ていたのに、自分の身体も「痛い」いうてるのに、「とにかく、休め」というサインが出ているのに、ちゃんと自覚していなかったのです! なんと、おバカだなと、いま、思いますが。
10年前、当時はアラ傘(アラウンド傘寿)の義父母二人が暮らす百合丘の一軒家へ、夫と小さな娘とともに引っ越して、2世帯完全同居を決行したわたし。以来、主婦業すること10年。無意識に「いい妻、いい母、いい嫁」であろうとしていたようで、ケガしてもなお、無理して主婦業続行していたのだ、と気がつきました。
「もう、やめた。一切やめた。一切やらない。家事やってちゃ、自分の身体が治らない。自分の食事や洗濯はなんとかする。だけど、家族のためには働かない」と、夫に一方的に主婦業放棄宣言(メールで)。
ふと、考えてみれば、わたしの家族は、みな大人。その気になれば、買い物だって、食事づくりだって、洗濯だって、掃除だって、できる。
そうだわよ、もう、娘はもう小さな子どもではなく高校生になったし(弁当を毎日つくってあげなくても、買い弁やコンビニおにぎりや惣菜屋さん、なんでもござれだし)、昭和ヒトケタ専業主婦に育てられた夫は、炊事がまるっきしできないけど……義母は人工透析に通い始めているけど……義父はだいぶ耳が遠いけど……みな一応わたしよりも身体は動く。わたしが家事一切しなかったところで、なんとかなる。大人だもの、なんとかしてもらおう。
もちろん、バイトや習い事(合氣道)、いくつか入っていた個人的予定も、歩いちゃダメなんだから、痛恨だけれど、すべてキャンセル。療養に専念しよう、と決めました。
以後、布団に寝転んで、終日ごろごろごろごろ。アニメ「鬼滅の刃」や韓ドラ「星から来たあなた」を見たり、本読んだり、ネット散歩したり、パソコンやスマホを整備したり。自分のことを第一に考え、歩かなくてもできる、自分のやりたいことだけに専念。療養という名の人生の休日か。一家の主婦にはあるまじき、なんて幸せな日々。
整形外科での診察は、1週間、2週間、1ヶ月と間があいていきました。で、ケガ後の16日目から、超音波リハビリを開始。痛みのあるお尻部分にゼリー状のクリームを塗られ、そこにバイトのお姉さんが小さな器具をあててくれて、ちょっとびりびりと感じること10分の治療。「これはとても効くので、できれば1日おきぐらいに通ってください」と、お医者さま。
わたしは生真面目にその通りにしました。なにせ1日もはやく治りたかったから。
「自由に、痛みなく歩き、動き回れる」ってことのほうが、「歩いちゃダメ、横になってごろごろ」より、比べものになんないくらい、幸せだぜよっ!!!!!!!!!!と、アタリマエのことが、身にしみてきていたので。
松葉杖もとれ、右足をかばいながらの、超音波リハビリ通いの頃。整形外科さんの斜め向かいに、「あなたの姿勢チェックします」という看板があることに、気がつきました。
ん? ここは、一体なに? カーテンで仕切られただけの、ちょっと不思議なこの空間は……。
それが、当時、西岡先生が主要スタッフを務めていた「うごきのステーション」だったのです。
*つづく
(text by ooiNatsuyo)