私自身、

仕事や家庭、総じて生きることに対して、

哲学を持って当たるようなクセが昔からあります。

 

一部ですが、

シェアできると良いなと感じ、以下お伝えしたいなと思います。

 

 

自分の幼少期から思春期に当たるまでで、

ぼくの精神と、世の中の、基本的な捉え方が出来たように感じます。

 

そもそも両親に直接育てられていない時期があったため、

精神的に安定する場がなく、自己肯定感が異常に低い人間でした。

 

ですので、

孤独と嫌悪感が延々と続く精神状態で

前半戦は、ほぼ生きていたと思います。

 

そういう人間が、

 

どうすれば、自分らしく自信を持って生きていけるか?

どういう風に人に接してもらいたいか?

自分の居場所はいったいどこにあるのか?

こんな自分でも出来ることは何だろうか?

 

自分だけの世界観を、

ずっとそのころから持っている気がします。

 

それらを解決できる、

自分なりのひとつの“解”は、

 

『成長』

 

です。

成長したいと願う時から人生は変わり、

それを行わない人間は、人ではない、くらいの感覚で思想を持っています。

というより自然界に存在してはならないと思うのです。

 

成長とは、

万物自然から生まれていて、

 

決して人間だけが持っているすごい能力ではありません。

むしろ、

自然物の方が無為自然に行っていて長けています。

 

タネを植え、

水と養分を得ながら地道に土台を築きます。

 

やがて芽が出て、

少しずつ目に見える発展を起こします。

 

そこから花を咲かせて、

美しい見た目になり頂点の状態が生まれます。

 

いずれ花は枯れますが、

タネを残し、次世代につなぎます。

 

これが自然界上での人間の成長段階だと解釈しています。

 

この中で、

もっとも他力を要すのは、

タネの時期です。

 

自分では何もできません。

 

土や太陽、水、

いろんなものの力を借りて育っていきます。

 

この際に、

どんなにタネの存在が“愚”なるものでも、

まわりの与えてくれている環境が“良質”なものであれば、

美しく育ちます。

 

かつての私がそうであったように。

 

タネには可能性しかありません。

タネにはその元となる個性のみが存在し、

自信や素養など、

必要ないと感じます。

そこに劣等感を置いても、結末になんら関係は無い。

 

このようにして、

成長をしていかなければならない、

それが、人間が世に存在してきた責務だと感じています。

 

基本的に、

このサイクルで世の中は古来から現在まで、

続いてきていると思います。

 

しかし、

昨今の世の中では、このサイクルが壊れてきているように

強く感じています。

 

太陽も自分だけを照らします。

水も自分だけ水を得ます。

土も覆ってくれません。

 

これでは成長のサイクルが起きません。

 

それぞれは、

それぞれの特性を与えられているのですが、

 

それを他のために活用しないと、

相互に生きられません。

 

結果、

各々に劣等感を生みます。

 

分かりやすく言うと、

“生きる意味、生まれてきた意味”を感じなくなります。

 

かつての、

私自身が幼少期のときに感じていた状態に戻ってしまうわけです。

 

これは大変におかしいことである、

というのが自分なりの思想、哲学になります。

 

では、

行われている最低単位のコミュニティ(環境)はどこか?

 

それは“家族”です。

親子間ですね。

 

ここが上手く機能せずに、

どうして会社、地域、国、という大きな組織を構成できるのか?

 

支える小さな無数の柱がぐらぐらで、

どうやって大きな建物を構築できるのか?

 

そして、

その大きなものばかりに目が行ってしまっていて、

ぐらぐらである自分に気付いていない。

 

では、

どうすればこの状況が改善し、正しく成長が機能するようになるのか?

 

それは、

まず自覚(事実を知ること)し、

成長したいと強く願う、決める。

次に受容(受け入れること)。

そして変容(変化に順応できるようにしていく)。

 

この基礎段階が構築されれば、

自ずと他力が入るなどでサイクルが起きるようになると感じています。

家族の“個”に気付きを与え、

成長を起こし、

直近のコミュニティを活性化させ“全”をつくり、

さらに自分の幅を広げていき、

他と交配を行い、革新を生み出す。

 

それが、自分の劣等感(悪)を排し、

生まれてきてよかった存在なのだという自己肯定感(善)を生み出し、

次世代につながる成長を生み出すのだ。

 

これが、

事業においても、家族においても、

41歳、現在のわたしが生きる上で持っている

“哲学”です。