お客様ブログ(アラ還 老女の「動かすカラダ」体験記)第12回。

 

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前回ブログから瞬く間に約1週間たってしまいました。はやい、はやすぎる。時間よ、とまれ。……あ、いや、とまらないで(このコロナ禍の厳しい状況が変わらず続くのは、いや~)。日々、もやもやしておりますが、ともあれ、ブログすすめます。「歩く練習」をして、衝撃的に驚いたことを思い出した、というと前回のつづきを。

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昨年2月半ば、西岡先生の指導に沿って「かかと―ぼしきゅう(拇指球)、かかと―ぼしきゅう、かかと―ぼしきゅう」と、心の中で唱えながら、普段も意識して歩こう、とやってみたのです。

 

そしたら、「あ、いかんいかん、いま、無意識やった」と、何気なく歩いていたその時、がががーーーーん。なんと、わたしはつま先から着地し、なおかつ、左足の親指にぎゅっと力を入れて(地面をつかむように親指を曲げて)、それから、蹴り出していた! ということに、気がつきました。

 

一歩一歩、着地するたびに、左足の親指にめっちゃくちゃ力を入れていた。まじか。なんだろ、このリキみ方は!!!!! 無意識なのに……無意識なのに、普通に歩いてるだけなのに、こんなに力を入れていたの? わたしは。

 

衝撃的でした。ほんと、気がつかなかった。どうりで、少し長く歩くと左足の親指が痛かったわけだ、と。ひとつ謎が解けました。

 

17歳の時、左足首に強烈な捻挫をして(体育祭の棒倒しで、倒れてくる人たちの下敷きになった)、ろくなリハビリもせず(そのような発想もない時代ですね、1970年代後半)、なんか左足、治ったけど、ちょっとへんなんだよなーと感じるままに幾星霜。どうやら、いつも、なんか左足を庇って歩いているみたいだなーとは思っていたんですが。

 

また、日常生活でもストレスフルな日々だったりしたせいもあるかも……とか。

 

やっと、自分の日常動作のくせに気がついたので、「意識して」左足親指の力を抜いて歩いてみたら、その、らくちんなこと! どうやら、肩にも力が入っていたみたいで、意識すると肩の力もついでに抜けていく。それも衝撃的でした。どんだけ無駄な力を使っていたか、と。無駄も無駄、ぜーんぜん、無駄!

 

左足の親指の力を抜いて、抜いて歩く、抜いて歩く、力抜いて歩く……最初は、意識しないと力を抜くことが出来ませんでした。左足の親指が着地すると、自然に、力を入れている。せっまーい靴の中で、親指を曲げて、それから、蹴り出している。まじか……。

 

「力抜いて歩く(親指曲げない)、力抜いて歩く(親指曲げない)」と日々やってるうちに、できるようになりました。

 

って、単に歩くだけなのに、この頃は、心というか頭が忙しかったわけです。「抜いて歩く(親指まっすぐのままね)、抜いて歩く(親指まっすぐにして)」「かかと―ぼしきゅう、かかと―ぼしきゅう、かかと―ぼしきゅう」と、かわりばんこに心の中で唱えながらですから。

 

ぼーっと、あらぬことを考えたり考えなかったりしながら、ほぼ無意識で歩いていた60年足らずの年月……。この時やっと「歩くこと」に、「歩いているわたしの足」に意識を向けて、歩くことができた。いままでより、格段にらくちんで、楽しい。

 

新しい日々のスタートかしら、と感じました。

 

 

(つづく)