前回のつづき。
少し、やんちゃな方々とのお付き合いが続き、そのお友達のお家にいた時のこと。

4~5人くらいが集まって、
2階の小部屋で、みんなで悪いこと(笑)
してましたところ。

そのお家の
誰かしらが帰ってくる音が。

何やら大きな声と、
それを制止する女性の声が。

ん??
何やらいきなり不穏な空気が。

見るとその家の友人が、
震えているではありませんか!!

これは、、
いったい。

そう思っていると、
友人から衝撃の告白が。

『俺んちの親父、ヤ〇ザなんじゃ!!』

…さすが、広島。
まさかこのような身近に、そのようなお方が。

『やばい。殺されるで、みんな。』

いや、
もはや全く冗談に聞こえない。

すごいもので、
それを聞いた全員が2階から次々と飛び降りていく。
靴も履かずに。なんの躊躇もなく。

見事なもので、
にんげん、恐怖を感じると咄嗟の行動をするものだし、
そこにためらいが無い。

普通なら確実に恐れる高さだ。
火事場の馬鹿力とは本当である。

我々が次々と飛び立つバックには、
カーペンターズの『青春の光』が流れ、
スローモーションで進むような、
見事な光景であったに違いない。

そこから、
颯爽とそれぞれ素足で全力でその場を離れ、
事なきを得たのである。

もちろん、
逃げ切ったあとの爽快感。
仲間との談笑は、今でも覚えている。

さて、
このように馬鹿げた話、時間ではあったのだが、
当時、学校という行き場を失った私には、

なんとも楽しい、
どうでも良い時間だった。

しかしこの、どうでも良い時間。
というものに、もしかしたら
本当の価値があるのでは?

と思う。

どうにも現代には、
このような馬鹿げた時間が減ってきているし、
評価されていないように思える。

どうでも良い時間の中から、
このように思い出に残るものがあるとしたら。

普段のがんばり。
合理的な生き方は、果たして合っているのだろうか?

みんながやっているから、
学校に行き、テストの点を追いかけ、
就職をし、お金を稼ぎ、生活を成り立たし。

確かに必要なことではあるが、
そこに思い出は果たして生まれるかな。

学校から離れた、
今の時間は、もしかしたら価値のある時間を得るためかもしれない。

必ずしも、
合理的な、社会で決められた順番で生きる必要は
ないのでは?

ということを、
このバカバカしい話で伝えたいと思う(笑)