さて、まず私の幼少の頃よりも、
妹の幼少から大人までをざっくり書いていこうと思う。
妹は未熟児の双子で生まれた。生まれた当初は800g。昭和57年の当初では、助かるのが奇跡のような状況だったらしい。そんな中で生まれた子だ。
未熟児であるせいか、生まれつき体も弱く、3歳くらいまではいつ死ぬか分からない状態が続いた。
母親は何度も遠く離れた病院に行き、父親もその送迎で付き添った。徹夜で看病し、また次の日は仕事に戻る。そのような日々だった。
ようやく4歳くらいになり、体調も落ち着いてきた。とはいえ、普通の子よりは力も弱く、一度わたしが蹴り飛ばすと、
母親から烈火のごとく叱られた。それはそうであろう。命にかかわるのだから。
それ以来、妹に対して、強く当たってはいけないなと私も悟った。
ウチの両親は、ショッピングモールのフードコートで、ラーメン屋を営んでいた。私も妹もよく、そのモールに連れいかれて、その場でほぼ300日くらい、一日中過ごした。
その位いると、もう、そこが家のようなものになる。そこのお店の色んな人と話し、可愛がってもらったのを記憶している。
しかし、妹はあまり人と接するタイプではなかった。しかも何と、重大な事件を起こしたのだ。
モールにあるおもちゃ屋さんから、商品を盗んだのである。しかもバレないように、ケースはくちゃくちゃにして、
床の下に隠していた。
これには、母親はかなりショックを、というよりも、ここで、妹に対して、
”あきらめ”を感じたように思う。怒りながらも、落胆の表情をしていたのを、子供ながらによく覚えている。
子どもと言うのは、よく見ているものだ。特に本質的な部分を。
さて、今度は自宅のことに触れてみたい。
自宅には、母親のラーメン屋の仕事が終わった17時くらいに帰ってくる。そこからご飯を作る。
そして、20時くらいに父親が帰ってくる。
私の記憶だと、5歳まではあまり喧嘩をしていた記憶は無い。むしろ良い家庭だっだ様に記憶している。
しかし、5歳から急に二人は喧嘩を始めるようになった。そこには明確な理由がある。
母方の父が亡くなったのだ。
それが、何の理由になるのだ?と思うだろう。実は、私の父は自分の両親や兄弟から愛されていない人間でした。
しかし、母方の父(以後、祖父と呼ぶ)は、そんな私の父を、とても大事に気に入っていたのです。祖父が亡くなった時、
父は人目もはばからず号泣していました。人は、だれしも、自分を認めてほしい。自分を愛して欲しい。そういう存在が一人でもいてほしい。
それが、父にとって、祖父だったのだと思います。
その存在が欠けてしまった途端、もともと自分に自信のない父でしたから。
母親に強く当たる。毎日のように喧嘩をして泣かせる。パチンコに狂う。
人の悪口や不満が絶えない。妙な宗教にハマる。
など、みるみる心が崩れていきました。
子供ながらに、人間というのは、非常に弱い生き物だなと感じていました。ただ、その最後のはけ口は、必ず弱いものに来ます。
父親から暴力を振るわれたりは、ありませんでしたが、
ストレス
というものは大いに子ども達に流れていっていた家庭でした。
当時は、ストレスという言葉は存在していませんでしたが、
今ならそうだと、認識できます。
妹はまさに、家庭から放出された、このストレスに翻弄されていたように思います。
◎急に不安が襲ってくる。
◎自分に自信が持てなくなる。
◎言いたいことを言わなくなる。
◎人の機嫌を取るようになる。
◎他人と比べて自分を卑下する。
◎劣等感が強い。
◎活動、意欲が無くなる。
◎暗い部屋、人との非接触を好む。
◎自分の中に不満がたまるが出しどころがない。
など等。人にとって良くない要素が充満していました。
この状況が私は5歳。妹は3歳から始まります。そりゃ、おもちゃも取りますよ。
ただ、それを理解するには、母親には厳しい状況でした。
父はこのような人間で、ずっと自分に捉われている人でした。
止めてくれる人はいなくなり、ずっと過去の家庭から苦しみは続いたのです。
一方、母親にも様々な問題がありました。
母親も自分の両親から愛されていない人でした。両親は優秀で、それに近しい兄と比較され、自分は落ちこぼれだと認識していました。
ずっと愛されない。ずっと寂しい。ずっと愛されたい。そんな人でした。
しかし、私たちには、非常に愛情を示してくれて、とても良い母親だったと思います。
ただ、心の影というのは恐ろしいもので。折々に、その姿が見え隠れしていて、パニック症候群のようなものも持っていました。
人間と言うのは、自分の意志で、自分を制御できるように思えます。逆に、何も出来ないのは自分のせいだと。
私は、そのようなものは人生上で見てきていません。この両親たちを見ていると、何とか頑張ろうという姿が見え隠れしていました。
しかし、過去の自分の心の呪縛から、いつまでたっても抜けられない。そして、その呪縛は代々、子供に継がれていく。
人は、人の意志を超えた何かがあり、それは人の努力など、そういうものではない、と認識しています。
妹は、母親の、自分が愛されたい、という衝動の玩具になっていたように思えます。いつまでたっても埋まらない、自分の寂しさを紛らわすために、
妹を愛している、守ってあげる、という事にすり替えて、何年も、何十年も、何も進まない、進めないまま過ごしていたように思えます。
現に、妹はいまだに幼稚園生が好むような本や、表現、趣向を好み、そこから時間が進んでいないような状態です。
このように、親のストレスと順応によって壊されていったのが、妹です。
その後は、小学校1年生から不登校になり、そのまま中学に一度も行かず、ずっと家で暮らし。
高校は、形だけの通信高校へ。母親の体面で、大学も名前だけは入れる場所へ。
履歴書を見れば、立派な大卒です。しかし、それは、
母親の、自分が落第者である。この子たちにはそうさせまい、という呪いの結果です。妹が望んだ世界ではありません。
卒業後は、当然ながら暮らしは変わらず、引きこもり。途中、少しだけアルバイトに出たりもしましたが、
やはり、社会、世間というものに付いていけません。それはそうでしょう。肩書がついても、中身は変わりませんから。
母親も、不登校・引きこもりの状況を変えようと思ったのか、
母の会に行ってみたり、本を読んだり、精神科に付いて行ったり。様々、試みたようです。
ただ、心の本質。本人の思う所よりももっと奥が、変わりたいと思っていない。だから変わりません。
やがて、33歳の時に父親が亡くなります。
その時に、何かがはじけたのか、壊れたのか。精神病を発症します。統合失調症と言う、幻聴、幻覚が現れ、当人を殺しに来る病気です。
これはじつは、幻聴ではありません。今までの、自分に言い続けていた心の声が、ついに具現化してきただけです。
私は、この世にいてもしょうがない。お母さんの言う事を聞いていればいい。誰もわたしの言う事は聴いてくれない。
様々な抑え込んだものが、病い、という形で具現化したのです。見方からすれば、母親へのゆがんだ愛情表現への復讐です。
非常にやっかいな病気で、これには母親も苦しみました。様々な病院や本を探っていましたが、いまだに統合失調症は謎の病気です。
それはそうでしょう。長年に渡る、想いが発現した形ですから。
世の中はみごとに出来ていて、出したものは帰ってくるように出来ています。母親の妹へ出したものは、しっかりそのまま返されていきました。
母はい精神病の妹と暮らすことで精神が疲弊し。今は自分もうつ病になり、精神病院に入っています。もう出ることは無いでしょう。
その妹は、現在は40代。精神病院を行ったり来たりしていましたが、つい先日、もう出れない状況になりました。
愛と言う、じつは呪いの名のもとに翻弄され。
誰も応援されない。誰も厳しくしてくれない。自分自身すらも信じられず、殺したい。死にたい。
それが、私の妹の人生です。
私は、自分も不登校でしたが、ただ不登校を克服しただけの人間ではありません。
今もなお、家族と共に、その業を背負い続けています。今後の彼女たちの様子や最後は、
私が責任をもって、見続けていきます。それが、唯一、健常者として残された。いや残してくれた私の使命です。
淡々と、文章を書いているように思えますが、自分の家族です。ずっと横で、その変容や状況は見てきていました。母親にも随分と苦労は掛けましたし、愛しても頂きました。
自分が何か、変えられること、返せること、出来ることはないだろうかと、大人になって、自分にも自信がついたときに何度も想い、行動にも移しました。
でも、何もできなかったのが結論であり、結果です。
前節でも書きましたが、実家に、病院や支払い、手入れの事などで、半年に一度、広島に帰るようにしています。
精神病者たちが暮らしていたので、ひどい状況です。TVなどで見る、ゴミ屋敷を想像してください。アレです。

その中で、一人、座っていると、何ともやるせない、虚しい気持ちになります。
そんな中、先ほど『使命』と申しましたが、
さらなる『宿命』があります。
それは、自分の一族とは、同じような状況を作らないことです。
過去は変えられません。あの人たちが元気になることは、もう決してないでしょう。
ただ、そうなる可能性がある家庭は、まだ、救えます。
私は、たくさんの人の助けと、家族の基盤と、運によって、
そしてもちろん、自助努力もあります。不登校から抜け出し、あえて言いますが、そこから躍進することが出来ました。
しかしながら、こうして、壊れていく人生も見てきました。
不登校のご家庭は、何か、このような、不思議な試練を受けているのかもしれません。
このような特殊な状況の中で、どうすれば、より良い方向に進みやすいか。
自分自身の経験から、控え目に行って、少し、分かると思います。
ただ、何人にやり方、考え方などを伝えましたが、
一般的な”教える”という方法では、伝わりません。
自分で気づく
という事が、とても重要な問題なのです。
出来るだけ、その気付きとなるべく、次は、私の歩いてきた人生を書いていきたいと思います。
私の話を読め、と言うのではなく、
ぜひ、ご自身の人生を振り返りながら、何度も読み返してみてください。
苦しい経験、今もなお悩む課題、その中に活路があり、宝となります。

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