心理学ではかなり、
重要な言葉。捉われ。
ここで、
分かりやすく孔子の話をしてみる。
孔子は、
中庸
という、
もの事の間
が正しい道であると説いた人。
日本人にさも向く考え方であるが、
これは、
事なかれに間を取るといったものではない。
極と極を知り、
その間を取るべきであるという考え方です。
孔子の極に振れる実話も、
かなりぶっ飛んでいるので、
ぜひ見て欲しいのだが、
今回は分かりやすく、
ビジネス的な観点と
家庭的な観点で話そうと思う。
SNSの活用を極め、
マーケティングが命だ、
という人がいる。
かたや、
商品や技術、内容が良ければ、
それがすべてだ、
という人もいる。
お互いは、
お互いをディスりあい、
自分たちの正当性を、
高々に掲げる。
もう、
往々にしてよく聞く話だ。
家庭で言えば、
家族を幸せにと大金を稼ぎ、
休日には家族を連れてと、
最高の父親を目指す。
母親は、
家事育児を出来る限りの努力でこなし、
仕事にも出かけ、
よく聞き、
よく話し、
最高な母親像を目指す。
お互いの検討を称えたい、
となるのが理想だが、
現実はそうはならない。
片方が極に振れると、
片方には窮屈となる。
なぜなら、
物事は極に触れすぎると硬直化する
という宇宙の摂理がある。
いつまで経っても抜けきれない戦争などを見てみると、
よくよく分かる話である。
故に、
その中道に正しい道がある、
という教えが、
中庸
という考え方だ。
この、
極に寄る
というのが、
冒頭にある『捉われ』である。
孔子によると、
極に振り切った時に、
あえて反対側の極に振り切ると
中道が見えるという。
これを人呼んで、
変化
という。
前節でも書いたが、
今と変わらないやり方を続けているのは、
極に寄りすぎている状態だ。
もしくは、
片方に振りもしてないのかもしれない。
自分はどうだろうか?
ちゃんと振れているだろうか?
捉われていないだろうか?
孔子は常に、
自分たちの状態を勉強会で、
意見し合ったという。
他人の目を入れて、
素直に意見を聞くことで、
自分の良き道を、
見出していた。
今が苦しい、
なにか不安である、
進む道が分からない。
正しいと思っていることを伝えても
伝わらない。
思う相手が変わらない。
人が応援してくれない。
そのような方は、
ぜひ自分を見直す、
時間を作ってみて欲しい。
良き道は、
想像をもしない場所に
あったりするものだ。