さて、

前回の記事では私の家族の話をした。母親も努力家で、よく頑張ったと思う。しかし、そのほとんどが悪手となった。

 

私が、いま不登校に関する相談で、何となくお答えが出来ているのも、良い解決方法を知っているからではない。というか、そんな特効薬になるものは無いと思う。

今まで、自分自身の家庭で、たくさんの悪手のパターンを見てきているからだ。

 

なるほど、こういう対応を取られたんですね。

それよりも、こうした方が良いかもしれませんね。

 

と、このようにお話ししているだけだ。

 

不登校、というのはただ一つの現象なだけであって、

じつはそれまでの環境や、心の状態がずっと良くないことによって、起こりうるのである。

それを断ち切るのは容易ではない。

 

しかし、早めに気づいて、変化を意識していけば何とかなる問題でもある。今まさに、渦中に入ろうとしているご家庭には、何とか”気づき”を与えていけると良いなと思っている。

 

さあ、そこで私の場合である。

おそらく私は、不登校の状況から、何とかなった部類だ。前述した妹とは、まったく同じ環境、同じ親で育ったが、違う結果を得てきた。

 

もし、不登校に関しての解決策があるとするならば。私の人生を幼少期から振り返れば、もしかしたら何かしらのヒントがあるかもしれないと思う。

現在でも、親御さんたちに勉強会など行うこともあるのだが、どうしてもこの部分を限られた時間でのティーチングで伝えることが出来無い。

そのため、こうして文章に起こしながら、思い出せる部分から書いていこうと思う。

 

まず、思い出すのは2歳の頃である。

前回のブログにあった、妹が未熟児であり両親が病院通いであったという点。ここには実は、私はいない。

母方の祖父母の家に預けられていた。これも中々に無いケースである。

 

おそらく、2年くらいはそこにいたのではないだろうか。

私も、今まで主夫をしてきたので、娘たちが2~4歳の娘の状態を覚えているが、

よくまあ、あの年頃の子が、単身、よその家で暮らせたものだと思う。

 

自分の体験から、幼児期に両親から離れて暮らすというのは、よほどか寂しいものかと思う。

現に、毎日、夕方に母から電話が来るのだが、毎度毎度、号泣していたのを覚えている。そして、数カ月に一度、父親が仕事が終わって深夜に車で迎えに来てくれて、数日だけ実家で暮らすことがあった。

その際に、車の中で途中、目を覚ますのだが、その時も号泣する。ただし、その時の泣く理由は、電話の時とは違う。

自分は、捨てられたのではなかったのだと、確信して泣くのだ。

 

大人であれば、もう少し大きければ、理由を説明すれば、このような状況は理解できるであろう。

しかし、2歳の子どもである。

急に親元から離されて、別の人間と暮らすのだ。訳の分からない状況である。

そんな時に子どもが感じるのは、会えてうれしい、などではない。

自分が要らないのではなかろうか?という事だ。

 

この時点での子どもにとって、親は絶対的な存在である。特に愛着、愛情、という面で、特に。

だから、車の中で自分が捨てられていない、良かったと思って泣くのだ。これを2歳児が思っている。子供の心境とは、凄いものだと思う。

まさに、不登校の問題解決で重要である、私の”心理的安全性”が散々に欠けていった時期だ。

 

家庭の事情なので、致し方ない、とは今では思えるが、あえて、その結果の面だけで話していく。

これに関しては、良い面も悪い面も大きくあった。

 

まずは良い面からだ。

預けられた先は、父が尊敬する祖父がいる家だ。祖父は大企業に勤め、地元では最高責任者まで上り詰めたような人だ。単純に上昇志向があったような人ではなく、

戦後、自分の親兄弟を守っていくために、必死に努力して、そうなっていった。現に、3家族分を養っていた大豪傑である。

 

私の面倒を看てくれていた時期は、すでに退職をしていたので、毎日のように付き添ってくれていた。

原付の後ろのカゴに乗せてもらい、消防署、海の船、警察、電車など、男の子が好きそうなお気に入りのコースを、毎日、連れて走ってくれた。

そして、海沿いの町であったため、夕飯は毎日、船盛が用意され、豪華な食事を祖父の膝の上で食べる。

庭には何と、池があり、カメも泳いでいた。もちろん庭も広い。庭園と呼ばれるようなものだ。そんな、豪勢な環境で過ごしていた。

 

祖父は、高い地位に実力で着くような人であったため、おそらく高い知識教養、見識を持っていたと思う。私に話しかける一言ひとこと、そして礼儀作法、すべてが、良い教育になっていたように思う。

生家の一族と、私だけまったく毛並みが違っていたのも、その時の生活の影響が強いのかなと思う。やはり、人にとって、環境と出会う人、というのは多大な影響を及ぼすのだなと自らの体験で感じている。

 

さて、今度は悪い方である。

これは本当に悪い影響がある。幼少から不安な状態で過ごした子どもは、おそらくにして”自信”を持ちにくい子になる気がする。

なぜなら、心の土台に安心感が無い。常に不安感を感じて生きるようになるからだ。

 

4歳~5歳から妹も落ち着いてきて、正式に実家に戻ることとなるのだが、そこから何故か、生と死について考えるようになった。たった5歳の子が、である。

歩いていて急に思うのだ。人間は死ぬとどうなるのであろう?と。すると突然、歩いている先に、黒い影のようなものが出てきた気がする。

 

今思うが、あれは本当に出来ていたのか、それとも妄想なのか、今は分からないが、思い出の中では、そのようなことを思考していた記憶が明確にある。

黒い影を見ながら、死を考えていたのだ。

 

死を考えると、とにかく怖くなった。と、同時に、なぜ自分は生まれてきたのだろうとも考えた。

親からの愛着が不十分なままであったので、自分の存在が確認できにくいのもあろう。

生まれてきた理由、つまりアイデンティティ(自分の存在理由)をこの時点で考え抜いていたのである。

 

恐らく、普通の(?)子どもは、こんな状態ではないであろう。幼児テレビを見てキャッキャ言っているはずだ。ウチの子ども達もそうであった。

私もキャッキャ言いはするのだが、そのどこかに恐怖を感じ、恐怖を探す。そんな子であった。

また、自分の親でないと、心から甘えることが出来ない。よく甘えは良くない、と言うが、私の経験から、この4歳くらいまでの時期は、

絶対的に甘えて良いと思う。叱ってはならない、という意味ではない。十分な愛着の状態を作る必要が、絶対にある。

 

この時期に、親への甘えや接触を欠いた人間は、人に、自分の想いが話しにくい人間になってしまう。

それを、強さ、と言えばそうかもしれないし、良さかもしれないが、体験者の私からすると、それが無くても強くはなれるし、

そもそも、親との愛着が少ないと、そこから成長していかなくなるのだ。

 

私の場合は、祖父母のおかげで最悪の状態は回避できたのであろう。常に、そこに居てくれはした。

話を聴き。対話をし。バイクで外遊したり、買い物したり。体験、日常を共にしている。

しかしながら、現代の家庭では、すぐにワンオペ育児。その後、共働きをし、そのまま小学校へ。こうなると、幼児期の愛着と言う土台が少なすぎて、上に物が乗らない。

見た目は大きくなるのだが、言語や行動、心、感情、というモノたちが育っていかないのだ。私の特殊なケースのみならず、現代では、普通に起こり得ている。

不登校、という問題においては、この時点で大きな問題の種が育っている。

 

悪い部分を書く、と言いながら矛盾するかもしれないが、

私がこの時点で最大にツイていたのは、両親と暮らしていなかったことかもしれない。

まず、教育者たちの精神や知的レベルが、両親のそれよりも高い。非常に良い環境であったのだ。

私だけ、一族で毛並みが違う成長を遂げたのは、間違いなく、この期間の環境のおかげだ。

 

現に、その後、実家に帰り、先述した通り祖父亡き後は、ひどい状況であった。家庭のストレスや関係性は、必ず子どもに影響を及ぼす。

ワンオペ育児を、滾々(こんこん)と恨み続けるお母さんが方は多いが、その問題が良い悪いでは無くて、家庭に恨みが残り続けるのが良くない。

それがすべて子どもに行くからだ。それは、口にせずとも、である。ストレスは伝導するからだ。

 

ワンオペ育児をどちらがどうしたら。過去の問題をどのように対処したら。今回は、その問題に触れるつもりはない。私の両親と同様、正直、どっちもお互い様だから夫婦になるのだ。

私の両親は、がんばりもしたし、色んな恩はあるが、あえて言う。どちらも弱さを持った人間であった。特に、愛情の部分で。

それを、どっちがやってる、どっちが我慢、と、本人たちの感情や目の前の問題でやっている。

 

私の子どもの時の経験から、あえて言うならば、

『お前らの事情など知らん。とにかくこの家庭内の雰囲気を何とかしてくれよ。もっと自分たちの本質を見てくれ』以上、である。

巻き込み事故にあった人が、どちらが正しいと口論し合ってる当事者ドライバーを、毎日見ている状況である。

 

子どもには、上記のように決定権が無い。親の事情に翻弄されざるを得ない。また、絶対的な愛情を親に抱いているので、絶対に裏切れないのだ。

その圧倒的な軋轢(あつれき)の中、また社会という、外の世界にも逃げれない。ここからゆがみが出てくる。

不登校、という形になるかもしれないし、私の場合は、死も意識した。

 

さて、これが2歳~4歳の私の世界観だ。明らかにおかしいと思うし、自分でもこんなに覚えていること自体が、よほどの感情値で生きていたんだろうなと思う。

私が、不登校の子ども達と接しているときは、きっとこういう時期があったんだろうなと思いながら話を聴く。

だから、彼ら、彼女たちは親近感を持ってくれるのかもしれない。少なからずとも、このような事は感じているに違いないからだ。

 

ただ、勘違いをしてほしくないのが、親がぜったいに悪い、という事ではない。今回は子ども目線で書いているので、そのような表現になってしまうが、

親が良い悪いで判断している時点で、不登校の問題は解決しない。その時点で、親だから何かをしてやろう、何かをしなければならない、という”エゴ”と言う名の支配が起きてくる。

我が家と同じ惨状しか起きない。

それよりも、ああ、子供はこう考えているのかもしれない。こうだったのかもしれない。

それを知っておいて、私たちがこれからどう生きていけば、より良い人生になるだろうか?もうこれしかない。子ども達も、きっとそれしか望んでいない。

 

少なくとも、この先、私はそのような考えになっていく。

どうにもならない家庭から。自分の弱さから。

抜け出すには、そう、考えていったのだ。