様々な想いと経験を経て、中学生となる西岡少年。
ちなみに初めて不登校の入り口として学校を休んだのは、2年生の初め頃だ。セオリーだが、おなかが痛いとウソをついた。
すでに妹は不登校となっていたため、割と簡単に休めた。妹に至っては、かなりの達人で、学校を休むために、最初の頃、ストーブで体温計を温めていた。
それがバレてひどく叱られて以来、その技は使わなくなったが、なんと自ら発熱を起こせるようになった。人間とは凄いものである。
そのくらい、学校が嫌だったのである。これもすごい話だ。そのような事が事前に繰り返されていたので、私がそうなったのには、あまり抵抗は無かったようだ。
そもそも、昔からあまり私は心配されなかった。母親的には未熟児で生まれてきた妹を、かなり過保護に育ててきており、自分の愛情(エゴ)を向けやすかったのであろう。妹には過剰なほど、心配と過保護を向けていた。
正直、私も、そして父親も面白くない気持であった。家庭のゆがみと言うのは、こうした些細な面から起きてくる。
母親が私に求めていたものは、ただ一つ。自分の兄の幻影を払しょくすることである。
母親の兄は、成績優秀、名家の長男である。非常に可愛がられたそうだ。それと比較して母親は劣等生。実際には、成績は普通なのだが、明らかに差別されていたそうだ。
非常に不思議なのだが、それと全く同じことを子どもにしている。母親自身でも、それが嫌だった、そうしたくない、と口では言っているのだが、
やっている事が全く一緒なのだ。中学になると、その部分が露骨に感じるようになり、反抗期も相まって、非常に嫌悪感を感じていた。
それと同時に、この人間代々の繰り返す流れ、というものにも、何か、不思議を感じていた。
中学1年生の頃は楽しかった。なぜかと言うと、同じ境遇の仲間と毎日のように集まっていたからだ。
入学当初は、かなり真面目で、成績は優秀。部活も卓球部に毎日、居残り特錬に出るくらい真面目であった。
ただ、前述したように、出来るからやる。やらされる流れの中で、やっている、というものだったから、恐らく楽しくは無かったのだと思う。半年で、何か虚しくなってやめた。
そこから仲が良くなったのは、まあ昔で言う『ヤンキー』の子たちである。
ヤンキーと言うと恐ろしいかもしれないが、まだまだそこは中1である。声変わりもしてないのも中にはいて、それは可愛いレベルであった。
ただ、やってる事は、喫煙、飲酒、〇〇〇、×××、と、法律ギリギリ、、アウトな事ばかりであった。ちなみに、恐喝、いじめなどのような人道はずれるような事は全くやっていない。
むしろ、それをやる連中をシバキ倒していたような、中々な”漢たち”だった記憶がある。ある日、仲良くなり始め、ほぼ毎日、放課後つるむようになった。
学校にいるよりも、はるかに楽しい時間であった。何より、居心地がよかった。
なぜなら、そこに居る者たちには全員共通点、というか、共通の気持ちがあった。
みんな、「寂しい」連中の集まりであった。親がよろしくないのである。
そういう話でも大いに共感し合ったし、気持ちで分かる仲間は、あまり言葉が要らない。
「何となくわかる」のである。これは、現代においても重要だ。逆を言うと、雰囲気だけで、もうコイツだめだ、が不登校の子には多い。察するのである。
音楽の話や、ドラマの話、たわいのないもので盛り上がり、それこそ深夜まで共に遊び続けた。
人生で初めて、面白いなと思った。今でもはっきりと覚えている。それまでは虚空の人生であった。楽しいと思ったことがなかった。
学校でみんなで力を併せて、一つの目標を!!というのが本来は美しいのであろう。
ただ、私は、このバカバカしい時間が好きだった。ここで一つ、当時のくだらないエピソードを上げてみたいと思う。

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