それなりに十分楽しかった中学1年時代。

人生には波がある。良い時、悪い時。中学1年から2年にかけて、急にその波目は変わる。

 

楽しくやっていた、ちょっとやんちゃな仲間たち。しかし、段々と距離が出てき始めた。

なぜかと言うと、本格的に悪い先輩方と彼らがつるむようになったからだ。

この段階になると、ちょっとその上の、いわゆる反社会的な組織の方々もチラついてくる。ちなみに見た目などは尋常じゃなく怖い。

 

さすがに、そこまではお付き合いできなかったため、

次第と話さなくなってきた。そうなると、クラスのいわゆる一般の子たちと友達に、、となのだが、

どうしても、面白い要素が見つけられなかった。

 

話が合わないのだ。なんというか、何にも考えていないように思えるのだ。失礼な話だが。

昨日あったドラマやバラエティの話、テストについての心配、先生や友達へのうわさ話。

それが、何になるのか、さっぱり分からなかった。

 

とにかくずっと自分にまとわりつく疑問。

「自分は何者なのか?なぜ生まれてきたのか?何が出来るのか?」

そればかりが、ずっと追いかけてくる。紛らわせてくれる仲間も居場所も、もう無い。

 

間違いなく、周りの彼、彼女たちは、考えていない。それでだけは分かった。

そして、大人、先生も考えようとしていないのも分かった。不思議で仕様がなかった。

この問題以上に大事なことはあるのだろうか?算数、国語の点数がよくて、それが何になるのか?

 

考えないようにするのだが、毎日、考えてしまう。

何の答えもない場所、答えを持たない人たち。毎日が退屈で、窮屈で、次第に、いる意味を失っていった。

ついに中学2年生の時、学校を昔で言う、ずる休みをした。これが私の不登校の始まりだ。

 

一度、休むと随分と楽だった。別に、勉強や努力が嫌なわけでは無い。

とにかくあの場所の環境、人、雰囲気、いるだけで苦しくなるのだ。

その点、家は良い。先述したが、家庭環境は微妙であったが、働きに出ているので誰もいない。誰もいない、一人の時間が天国だった。

 

最初の頃は、遠慮がちにゲームをしていたのだが、だんだん歯止めが利かなくなった。そのうち、一日中やるようになった。

さすがに、夜は親がいるのでやめていたが、それ以外はほぼ、ゲーム。実に楽しかった。プレイ時間は1ヶ月で300時間は、やっていたと思う。

1日10時間、休むことなく。すばらしい集中力と業績である。

 

ちなみによく、子供がゲームばかりをして心配する親御さんがいる。まあ、その気持ちも分からんでもない。

ただ、子供の方から言わせると、それ以上にエキサイティングなものがこの世には無い。

さらに上乗せすると、そればかりやってても、ちゃんと大人になる。別にアホにもならない。むしろ脳は鍛えられるのではないだろうか。

 

ウチに来ている生徒の子で、ゲームですべて漢字を覚えた子がいる。親御さんに言ったら驚愕していた。

ものごとにおいて大事なのは、集中力だと思っている。ゲームはこれを鍛えるに最適だ。

もちろん、”何の目的も無く、楽しくもないのにやっている”のであれば、問題だ。ただ、何かしら、目的、課題を持っているのだとしたら、もはやそれは教材だ。

 

ぜひ、最近のゲームをやってみて欲しい。たぶん、操作すらままならない。おそらく昔と比べて凄まじい情報量だ。

この情報処理だけでも勉強だ。小学生~中学生までは、”良い感情の時間”を増やすのが、大いに成長に良い。

ゲームでそれを得られるのであれば、それで良いと思う。勉強でそれを得られるのなら、それなら勉強した方が良い。

 

あまりにもゲームを過大評価しすぎては、問題もあると思うので、少し補足をしておく。

ゲームの弱点は、コミュニケーションと運動など健康面が足りなくなることは、問題だと思う。

私の場合は、なぜか無性に夜、走りたくなったので、走りに行っていた。あとは、定期的に飲み会などをしていた。

 

中一の時に仲良くなった、やんちゃメンバーにも、やはり1軍(笑)にはついていけない子たちがいて、

その子たち数名とは、たまに話す機会があり、飲み会などをしていた。

ん、、、?飲み会??いや、たぶん、ジュースの。きっと。そういうコミュニケーションは、とても大事だ。人間の、なにかを繋いでくれる。

 

あとは、なぜかピアノ教室だけは、小さい時から続けていて、

その先生とは、話をしていた。全く練習していなくて、親や学校の愚痴ばかり言っていたのだが、

ちゃんと聞いてくれた。あれにも随分と救われた気がする。

 

上記の2点は、ぜひ欠損しないようにしたい。フリースクールや、他の期間が出来るとするなら、その点がとても重要だと思う。

別に、教室でゲームばかりやっても良いと思う。ただ、そのゲームをやっている最中に、一緒にやったり、ゲームに対しての対話をしたり、

むしろ、そっちの方が、じつは重要な要素なのだ。

 

このように、何かイジメがあったり、急に落胆するような出来事があったわけでは無く。

ある日、す~っと不登校になった。なったらなったで、将来の不安こそあったが、別に何も困るようなことは無かった。

おそらく、困るのは親であって。子供の目線からすると、”それ以外の事”の方が心配で不安なのだ。ただ、それは口に出来ない、もしくはどう表現した良いか分からない。

 

だから、解決を急かされたり、促されると、困る、としか言いようがない。

言いようがないので、言えない。優しい子などは、本当に苦しむのではないだろうか。

この辺りが、親子で行き違う、最初のくだりとなる。

 

さて、

次は中学3年生の話だが、なぜかまた学校に行くようになる。そのお話しをしようと思う。